コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

うちのペル

昔、実家でネコを飼っていた。名前はペル。ペルシャネコだからペル・・・というわけではなく、近所からもらってきたただの雑種。ペルの親の親だかその親だかにペルシャネコがいた、ということでペルになった。いい加減なものである。

真っ白なネコだった。目はクリスタルブルー。まだ小さな子猫の頃に貰ってきた。貰ってきてからしばらくはダンボール箱を寝床として飼っていたのだが、その中でずっとニャアニャアと鳴いていたような覚えがある。


飼いはじめてからしばらくして、ひとつの事実に気付いた。ペルは耳が聞こえない。最初の頃は子猫だから、まだ音などに反応しないのだと思っていた。しかしペルが成長し、人にも慣れ、それなりに反応を返すようになっても、音にだけは依然としてまったく反応をしなかった。耳のすぐ側で大声を出したりしてもピクリとも振り向かない。単に安心しきっていて振り向きさえもしないのかとも思った。しかし見えないところから声をかけても寄ってくるということは絶対になかった。エサだよ、と呼びかけてもまったく反応しない。他の様々な事実からみても、やはりペルの耳は聞こえないようだった。


ペルは尻癖も手癖も悪いネコだった。ソファーの下に糞をし、食卓の焼き魚を隙を見ては食っていた。そんなネコだった。

我々のしつけが下手だったということもあろう。それに加えて、耳が聞こえないというのも影響していたように思う。どんなに大声で叱ってもペルには聞こえないのだ。ネコが人語を解するかどうかはわからないが、声のニュアンスやトーンも伝わらないのだ。だからペルが悪いことや粗相をしたときには頭や背中を叩いて叱っていた。叱られたペルはしょぼんと平たい頭を垂れていた。ネコが反省するものかどうかもよくわからないが、見た目だけは確かに反省しているように見えた。しかし実際にはまるで反省などしておらず、またすぐに同じことを繰り返すのだった。


ペルは木登りが下手だった。厳密に言えば登るのが下手なのではない。登ったはいいが、降りられないのだ。木や倉庫の屋根に登っては、降りられなくなって「ギャーー!!」という大音量の鳴き声を上げていた。鳴き声というより、泣き声、悲鳴だ。その声がするたびに、家族の誰かが助けに行った。助けても助けても、ペルはまた木に登った。そんなネコだった。

そういえばペルは、耳が聞こえないに、ちゃんとネコっぽく鳴いていた。叫ぶ声、ネコなで声、喧嘩する声。どれもちゃんとネコの声だった。


特別に可愛がっていたというわけではないが、ペルはよく私の布団にもぐりこんできた。その頃私は二段ベッドの上に寝ていたのだが、ペルはネコ特有のジャンプ力でタンスの上に飛び乗り、そこから私のベッドへとやって来た。咽喉を鳴らしながら擦り寄ってくる。耳を擦るように頭を撫でてやるとさらに大きな音で咽喉を鳴らした。その後は私の布団の中にもぐりこんできて、私の方に足を突っ張っりながら寝ていた。どうやら眠るときには足がどこかについていないと不安なようだった。こちらもネコが甘えて来るのは嫌な気はしないので、そのままペルと一緒に寝ていた。何故私のところによく来たのかはわからない。家族の中で一番寝ているときの体温が高かったからとか、そんな理由だろう。


ペルはときどき行方不明になった。1、2週間ほど戻ってこなくなることがあった。ネコは自分の死に姿を人目に晒さないと言う。死を悟ったペルは、自らどこかの「隠れ家」に行ってじっと死を待っているのかも・・・などと家族で話していた。しかしそんなことを言っていると、ペルは何事もなかったかのようにひょっこりと帰ってきた。ネコとはそういうものだ。ひょっとしたら本当に病気か怪我をしていて、どこかで療養していたのかもしれない。家にいれば皆が面倒を見てくれるだろうに。やはり最終的なところでは、ネコは人に心を許さないのかもしれない。


そんなペルも、死んだ。車に轢かれて。耳が聞こえないので、車が近づいてきたのに気がつかなかったのだろう。家から少し離れた大通りの道の脇で倒れていたそうだ。轢かれたネコは無残な姿を晒していることが多いが、ペルの遺体は不幸中の幸いにも、鼻血を垂らしている程度で綺麗なものだったそうだ。

いつも危惧はしていた。ペルは耳が聞こえないから、危機に対応する能力が低い。特に車に対しての警戒心は薄かった。車が側に来ても道路にべったりと寝そべりっていて、いっこうに動かないことも何度もあった。だが一度家の外に出たネコの行動を制限することなどできるはずもない。ペルが家の外に出た後は、私たちはただその無事を祈っていることくらいしかできなかった。

ペルの遺体は持ち帰り、父が家の裏庭に埋めた。耳が聞こえないネコにしては長生きをした方だと思う。母は「可哀想だと思ったらいけん」と言った。猫は同情すると憑くからだそうだ。母は祖母からそう聞かされたらしい。しかしたとえ憑いたとしても、ずっと一緒に暮らしてきたペルが家や家族に悪いことするわけないじゃん。今よりまだ少し若かった私はそんなことを思っていた。

泣くことはなかったが、やはり寂しかった。そんなにしっかり手をかけていたわけではない。犬のように散歩をさせるわけでもないし、大人猫になってからはじゃれて遊ぶということもほとんどなかった。エサは与えるが、ほとんど放し飼いのようなものだった。耳が聞こえないので呼んでも来ないし、家に帰ったらかけつけてくる、などということもなかった。そういう意味では愛想のないネコだったかもしれない。それでも、うちのペルだった。


ペルがいなくなってからしばらくは、夜に布団で寝ていると、ふと、ペルが来るような気がしていた。しかしすぐに「ああ、もうペルはいないんだ」ということを思い出した。

タンスの上に飛び乗ったときの「トトッ」という足音、布団にもぐりこんできて、私の体に足を突っ張って寝る感触、いまでもよく覚えている。そんなに執着していたつもりはなくとも、何年も一緒に暮らしていれば感覚が覚えてしまうものである。



少し前のエントリーでネコを飼う話を書いていて、そんなことを思い出していた。