コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

続・猫を愛す

前述の猫の話にお返事を頂いた。

ちょっと大人気ない書き方をしてしまったかなあと反省している。引用してそれを否定するような書き方をしてしまえば議論をふっかけてるように受け取られてしまっても仕方がない。そこまでのつもりはなかったのだが、悪い癖です。申し訳ない。


とはいえ話をほったらかしにするのもまた申し訳ないので、言い訳がてら。

私は猫を愛することを否定しているわけではない。ただ「猫を支配せず愛す」という言い方がちょっと引っかかった。猫を飼う以上、支配するということは避けられない。猫を愛するのであれば、「支配している。その上で愛する」くらいの覚悟はいるのではないかな、ということ。

「媚」については言葉が強すぎて違う印象を与えてしまったのかもしれない。要は「猫が愛を返してくれる」と言うことに対して、それは本当に愛なの?ということが問いたかった。「かわいそうなぞう」の例が出ているが、あれこそ媚の典型だと思うのだけれど。

また現実には「猫と接すること」が「人と接すること」の妨げになるケースもあるのではないだろうか。もちろんそこには人を愛することの参考になることもあろう。しかし逆に人との関わりにとって害になる要因も潜んでいるのではないだろうか。それにやはり私は猫を人とは同等には見られない。猫を愛することは猫を愛すること。それ以上でもそれ以下でもないのではないと思う。


ま、私が頭が固くて、ひねているということは否定できないです。感情では「愛サイコー」って思っているけど、頭で考えるとどうしても「無償の愛などない」というところへ行き着いてしまいます。そんな感じで自己矛盾で困ってたりもします。