コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

霹靂

言葉に関する話を書くのはなんと久しぶりのことだろうか。ちょっとだけ原点回帰気分で。久々ゆえか、文章が非常に書きづらい。読みにくいかもしれないですけどご容赦を。


「霹靂(へきれき)*」。「青天の霹靂」の慣用句でよく使われる。というより日常ではこの慣用句以外では目にすることも滅多にない単語だ。

意味は「雷」もしくは「雷の音」。「晴天の霹靂」はつまり晴れ渡った空に突然雷が鳴り響くことで、転じて突然思いもよらぬことが起きるという意味。

この「霹靂」、難しい字だが、字の形といい「ヘキレキ」という読み方といい、なんだかカッコイイ。しかも意味も「雷」とくるのだからこれはもう文句の付け所がない。また「霹靂」には「かみとき*」という和読みもあるそうだ。これは「雷(かみ)解き」から来ているようで、これまた素敵な読み方だ。

さらには「霹靂神*」と書いて「はたたがみ」と読むようだ。これは文字通り雷神のこと、あるいは雷そのものを表すらしい。またこの霹靂神を祀った霹靂神社というのも各地にあるようだ。


ついでに「雷(かみなり)*」についても書いておこう。これは「神鳴り」が転じたもの。天に閃光と大音響を響き渡らせる雷を、神の所業として人がこう名づけるのもうなずける。西洋でも東洋でも、雷は神の所業とみなされていたのだろう。

さらにこれを「雷(いかずち)*」と読むとまた面白い。これは「厳(いか)つ霊(ち)」から来ているそうだ。霊というのは力であり、御霊であり、これもまた神に通ずるものである。


日常に存在する強烈な自然現象ゆえに人はそこに神を見出すのかもしれない。この季節、雷が落ちるような雨が降る機会もままあるが、そんな日は電気を消して、空に走る神の咆哮を見てみるのも乙なものかもしれない。

追記

これを忘れていた。「稲妻(いなずま)*」。雷光、稲光、落雷の際の飛び散る火花のこと。しかし何故に稲?何故に妻? これは、古代に稲は稲妻をうけて実を付けると信じられたことに由来するらしい。何故稲妻で結実するのかはわからないが、夕立の季節と稲穂の実る季節がちょうど同じくらいだからだろうか。あるいは雨と関係があるのかもしれない。調べてみたらこんな記述を見つけた。

雷が多いときは、降水量や日照が多い、気温が高いなど、稲の生育に都合がいいのです。それで、昔の人は雷は稲を妊娠させる力があると考え、「稲夫(いなつま)」と呼んでいました。それが江戸時代に稲妻と誤用されたのが、こんにちまで、使われているのです。

なるほどね。米は雷の子、というわけか。

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