コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

コトバノトマドイ

id:exhum氏とid:killhiguchi氏の日記やコメントでのやり取りを読んでいると、ここで「コトバノツドイ」などと標榜しているのが恥ずかしくなってくる。


   思考の肉体 - 日記のようなもの
   楽園の言語 - 日記のようなもの


非常に興味深い話で、私も何か考え語りたいと思うのだが、知識と理解力の不足が足枷となってとても追いつけない。その私の無理解を承知で少し書かせていただく。私の考えというよりは、行なわれている議論の私なりの解釈、ということになると思うが。


例えば「トカゲ」というものがいる。それを「トカゲ」という言葉でもって認識する。しかし言語の上でのトカゲはトカゲという象徴的な存在を示してはいるものの、トカゲの本質を表現しているわけではない。言葉が常に事物を近似的にしか表現できないとするのであれば、「トカゲ」という言葉はトカゲそのものを表すことは決してない。意識の中でトカゲという言葉によってトカゲを認識し、そのトカゲという言葉がトカゲそのものを表せないのであれば、トカゲの実在も揺らぐのではないか。いや実在の是非は問題ではない。ただ人がそれを認識するとき、その実在を示す唯一の手がかりである言葉が不完全であるが故に、トカゲ・・・それに象徴される全ての事物は象徴的なものでしかなく、それが実在に結びつくことはなく、つまり人はいかなる実在も正しく認識することはできないのではないか。そこに絶望的な疎外感を感じる。

ということかしらん。*1

*1:ああまた虚勢を張って変なこと書いてるかも・・・。