コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

語彙力低下の不安

大学生の語彙(ごい)力が低下していることが、大学、短大の中堅校を対象にした調査で分かった。独立行政法人メディア教育開発センター(千葉市)が実施し、私立大1年生の19%、短大1年生の35%が「中学生レベル」と判定された。補習や授業で「日本語技法」「日本語コミュニケーション演習」などを開講する大学が増えているが、調査はこうした大学側の不安を裏付けた。

人にとやかく言えるほど語彙力も文法力もあるわけではないが、仮にも「コトバ」なんて単語を日記のタイトルに付けている手前、この話題は見過ごせまい。若い世代の日本語力の低下への懸念は今にはじまったことではないが、こうやって数値として示されると改めてそれが現実のものであると痛感させられる。しかも調査対象は大学生や短大生となっている。中学生程度の語彙力しかないのに、入試試験をどうやってパスしたのか気になるところだ。そもそもそういう「教育に足るだけの能力を持つか否か」を判定するための入試試験ではないのか。入学してなお基本的な日本語に関する授業をやっているというのはなんだかおかしな話だ。


そういえば、言葉に関して昨日の飲み屋でも似たような状況があった。一日体験でその日初めて仕事をするという女性がいたのだが、その女性と誰かとの会話。

男:「なんでこの仕事はじめようと思ったの?」
女:「お金ためて、一人暮らしがしたくて」
男:「なんで? 親がわずらわしいとか?」
女:「(間)・・・ワズラワシイって何?」
男:「・・・・」

皆笑っていたが、よくよく考えると笑いごとじゃないな、と。聞き取れなかったわけではなく、「わずらわしい」という単語が彼女の中には存在しなかったようだ。確かに「うっとうしい」とか「ウザい」あるいは「めんどくさい」などで置き換え可能な言葉ではあるが、それにしても「わずらわしい」が判らなかったといのは驚きである。


「言葉は生き物、生まれ死んでいくものである」とはいえ、言葉が無下に死んでいくというのはやはり忍びない。私とてそれほど言葉に長けているわけではないが、それでも学校で習う普通の言葉くらいはなんとかすべきだと思う。

若い世代に言葉を習得する能力がないというわけではない。彼らは造語や新語、絵文字やアスキーアートをどんどん吸収する。ただ既存の言葉に対する興味がない、それを身に付ける機会がないだけなのだと思う。勉強や教育といった堅苦しいことではなく、もっと自然に、コミュニケーションツールとして「言葉」を浸透させていくことができないものだろうか。

余談

ニュース記事はそのうち消えてしまうと思うので、載っていた問題部分を引用しておく。

◇各レベルの代表的な例題◇
(正しい意味を五つの選択肢から選ぶ)

  • <中1>重視 (1)重たいこと(2)大事だと考えること(3)目が疲れること(4)見えにくいこと(5)じっと見ること
  • <中2>さじを投げる (1)ひどく怒る(2)乱暴な様子(3)非常識(4)あきらめる(5)好き嫌いをする
  • <中3>一目置く (1)周囲をみわたすうちに目を留める(2)検分していた目を休める(3)大勢で特定の人物を凝視する(4)相手の目をじっと見て真意を確かめる(5)相手を自分より優れたものと認める
  • <高1>露骨に (1)ためらいがちに(2)おおげさに(3)あらわに(4)下品に(5)ひそかに
  • <高2>奔走する (1)逃げ出す(2)競争する(3)忙しく立ち回る(4)無駄な努力をする(5)大変な目にあう
  • <高3以上>嫡流 (1)激しい流れ(2)正当な流れ(3)清らかな流れ(4)よどんだ流れ(5)亜流
  • <同>憂える (1)うとましく思う(2)たじろぐ(3)喜ぶ(4)心配する(5)進歩する
  • <同>懐柔する (1)賄賂(わいろ)をもらう(2)気持ちを落ち着ける(3)優しくいたわる(4)手なずける(5)抱きしめる


=答えは上から順に(2)、(4)、(5)、(3)、(3)、(2)、(4)、(4)


「嫡流」についてはよく知らなかった。「嫡子」の「嫡」に「流」で意味の予想はつけられたが、まあそんな程度である。私と同様、わからなかったという人は少なくないようだ。反意語の「庶流」についてはさっぱり。こっちが書かれていたら意味の予想もできなかったかも。