コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

DEATH NOTE - HOW TO READ

DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス)
先日、なおざりにしていた「デスノート ハウ トゥ リード」を読んだ。字は小さかったけど読み始めるとけっこうすんなり読めた。活字に苦手意識が生まれてしまっていて、いかんなぁ・・・。

前半は原作者である大場つぐみ氏へのインタビュー。後半はキャラ紹介や前半のストーリー紹介。インタビュー部分では、大場氏自身の口からデスノートがはじまった経緯や、ネームの作り方などの裏話がポロポロ。以前に、がもう何某との関連の噂を書いたりもしたが、そのあたりは気にしないことに。



Lが死ぬ流れについては最初から考えてあったのかと思ったがどうもそうではないようだ。各場面のトリックや展開も「思いついたらすぐに話にしないと気がすまない」とあったので、悪く言えばけっこう行き当たりばったりで考えてることになる。それでも、それほど大きく「辻褄が合わない」ということがないのは凄い。

しかしそうなると、第二部への流れも最初から考えていたものではなく、引き伸ばすための工作のひとつであるとも取れてしまうわけで、ちょっと複雑な気分。しかし頭脳戦の相手が子供になる、というのは面白い。「魔少年ビーティー」のようなワクワクを感じる。


話は変わるが、id:midorim氏のデスノート感想でちょっと面白い話があったので引用させていただく。

まず、今までの展開から、私は大場先生を”男性だろう”と思ってきました。
根拠は?と言われると困ってしまうのですが…話の展開のさせ方が男性的だな、と感じるんですよ。
抽象的ですみません。でも他に言いようがないんです。
それに、作中での女性キャラのあり方を見ても
”理路整然とした論理による知略戦に乱れを生じさせる不安定要因”、
もしくは”道具”としての存在に限られています。
つまり極端なことを言えば、この話を作っている人間は
「女性は感情的な生き物で理論的な考えでは計れない」という価値観を持っているように思えます。
作者が女性だったら、こうはならないんじゃないでしょうか。

確かに、「DEATH NOTE」での女性の扱いはかなり軽い。弥海砂もときどき知略を見せるが、それほど頭がいいというわけではないし、「愛する男のためなら死んでも構わない」という男にとって都合の良い女でしかない。劇中で最も頭が切れたと思われる女性、南空ナオミも、けっきょくのところ婚約者のために動いたに過ぎない。しかもあっさりと月にやられてしまったし。他の女性キャラについては言わずもがな。

少年漫画でこういうふうに女性キャラがないがしろにされることは珍しくはないのだが、女性原作者であるのならばもっと女性を深く描いてもいいのではないかと思う。しかし「いちご100%」の悪例もあるし「女性だから女性を深く描く」というのも偏見なのかもしれないけど。

おまけ