日本放送の買収に関してもめているライブドア。いままでライブドアや堀江社長*1については、好きも嫌いも特になかったのだが、以下の記事を読んでちょっと嫌に傾いてしまった。
ここではテレビ関係よりもむしろ新聞メディアのことが大きく取り上げられている。ライブドアが現在ネット上で提供している記事を将来的に新聞という形で出していきたい、という話。新聞と言うメディアを提供しているとなれば企業の信用も上がるから、というのがその理由のようだ。
――そうした記事の大小ではなく、今では記事として提供されないものをランキングは低くてもいいから入れていこうとか、そういうことはないのか?
なるべく入れていこう、とは思わない。操作しようとは思わない。ゴミみたいな記事を無理矢理載せたってしょうがない、ユーザーニーズもないし。
――「ゴミみたいな」とは?
ランキングで読者の関心が低い、関心がない記事をゴミ記事と言った。価値は相対的に低い、ニッチな情報なんですよ。
企業を大きくしていこう、そのために報道というものを取り込もう。そういう考え方はわからないでもない。しかしユーザが求めるものをランキング形式で提供していくとういのは、報道ではない。それは新聞ではなく、週刊誌やスポーツ新聞でやっていることだ。そんなものを出しても企業としてのハクはつきはしない。むしろそうやって報道や新聞、ひいては情報そのものをバカにしている姿勢が、企業に悪いイメージを植え付けるのではなかろうか。
現在のメディアに問題がないとは言わない。。強いバイアスがかかっている場合もあれば、嘘もある。そんなことは判っている。しかしだからといって「報道の理想」を否定することはまったく別の話だ。堀江氏の言っていることは「その嘘がけしからんから正しい報道がしたい」ではなく、「報道なんてどうせ嘘まみれなんだから、消費者が喜ぶようなものを適当に与えておけばいいんだよ」ということ。報道も消費者もバカにしているにも程があるのではなかろうか。
面白サイトならそれも良いだろう。トンでもニュース情報としての価値は充分にある。しかしそれは果たして報道と呼べるものだろうか。
またランキングによる選別というのもひとつの「特殊なバイアス」であるということを堀江社長は認識しているのだろうか。そのバイアスをかけたものを「バイアスのかかっていない報道」と称して世に出し、企業としての信用を得ようというのはちょっとオカシイのではなかろうか。
ライブドア新聞についてはまだまだ構想の上のことなので、これにイチャモンをつけても仕方がないのだが、彼のその構想や考えを聞いているだけでも、なぜか酷く不愉快になってくる。
「人気のない報道はごみだ」というのをネットっぽく言い換えれば「人のこないブログはごみだ」となるのではないか*2。堀江氏はライブドアでブログを書いているユーザも小馬鹿にしていることになりはしまいか。
しかも堀江氏は率直で、つまらないウソをつかない人のようだ。
本当にそうなのだろうか。彼が日本放送買収時に言っていたメディア取り込みの考えと、この江川氏のインタビューとを比べただけでも、彼の主張が微妙に違ってきている。インタビューでは「メディアを早く殺すために取り込む」と言い、テレビ上で「ともにやっていきたい」というようなことを言っていた。もちろんそれは交渉上当たり前の方便なのだが、こういうものこそ「つまらないウソ」なのではなかろうか。*3
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