コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

痛みの記録 - その1

さてそろそろ例の一件について記録がてら書いてみようと思う。たぶん糞長いし、記録的で面白くないと思うので隠し。


いたいいたいいたいの始まり
出張先での金曜の午後2時頃。仕事もおよそ終り、あとは鳥取に帰る時間を待つだけ、とのほほんとしていた。そんなとき、突然の腹痛に見舞われた。いつもの緊張性大腸過敏の下痢かと思いトイレに駆け込む。しかし出ない。なんだか様子が違う。腹というより、下腹部、右足の付け根辺りが猛烈に痛い。それどころかその痛みがどんどん増してくる。トイレに座ったまま一人苦痛の声を上げる。

痛みが去る様子はないが、そのままトイレでぶっ倒れてしまうのも情けないので、どうにかズボンを上げ直してオフィスへ戻る。しかし痛みは消えない。表現するのは難しいが、下痢のピークの状態が延々と続く、とか、タマを蹴り上げられた痛みが延々と続く、というような感じ。机に突っ伏して「いたいいたいいたいいたい」と叫んでいた。

私は元々痛みに弱いタチなので、痛みに対して大げさに表現してしまう。なので自分でもひょっとしたら大げさなのかも、などと少し疑心していたが、それにしても痛い。そしていっこうに治まる様子もない。脂汗が吹き出し、顔も蒼白になっていたようだ。周りが騒然としはじめ、「救急車を呼ぶか?」「とりあえず病院へ」などと話はじめた。私は朦朧とした意識の中、なんでもいいからこの痛みを治めてくれ、と念じていた。

とりあえず車を出して病院へ行こう、ということになった。ふらふらしながらエレベータで降り、会社の人が出してくれた車に乗り込む。私の知らない街を車が走り、数分後に近くの病院に着いた。その数分がひどく長く感じられた。

ふらふらしながら病院内に入っていき助けを求めたが、どうやら診療時間外だったようで、「今、先生がいないので・・・」との返答。やっと助かると思ったらまた絶望の底へ蹴り落とされた。

その病院で別の病院を紹介してもらい、会社の人がその別の病院へ連絡を入れてくれた。しかし救急でも外来で来たらどのくら待ち時間があるかわからない、とのこと。そんなの耐えられない。痛みは私の下腹部を絶え間なく苛んでいる。私は「救急車呼んで・・・」と声を絞り出してお願いした。


初めての救急車、初めての救急病棟
しばらくして、救急車のサイレン音が近づいてきた。救急車に乗るのなんて初めての経験だったが、そんな感慨など感じている余裕はなかった。とにかく早くこの痛みだけでも止めてくれ、そう願うだけだった。救急車に乗り込む。そうなると今度は、「このくらいの痛みで救急車なんて呼んでよかったのだろうか。ただの糞詰まりの腹痛だったらどうしよう・・・」などと妙な心配をし始めた。意識もはっきりしているし、救急隊員の質問にも何とか答えられる。たぶん患者のレベルとしては軽度なのだと思う。でも私にとっては今までにないくらいのピンチなのだ。もう後で恥かいてもいいから、とにかく今はこの救急車に助けてもらおう。そう思ってストレッチャーに身を預けた。

途中、カーブを曲がったときに、救急車内の壁に留めてあった荷物が腹の上に落ちてくるというアクシデントがあったが*1、ほどなく目的の病院に到着。ストレッチャーに乗ったまま運ばれる。

どこをどう走っているのかわからないが、とにかく救急病棟に運び込まれたのだけはわかった。なんだかのんびりした感じの医師が来て、痛む場所やら既往歴などを聞いてくる。私は痛みに苦しみながら、足の付け根から下腹部辺りが痛いと継げた。医師は私が痛いといった辺りを触診しはじめた。足の付け根だからズボンと下着を脱がされ、私の粗末なものも見られてしまうが、もうそんなのもどうでもよかった。何でもいいから早く原因を特定して痛みを止めてくれ。そうしてくれるなら粗末なモノでも尻の穴でも思う存分調べてくれ、そんな感じだった。しかし医者は痛むあたりを一通り触診してから、首を捻っている。何が原因かよくわからないようだった。しかし触れられたことでまた痛みが増し、私は歯を食いしばりながらストレッチャーの上でのた打ち回る。触れたときよりも、触れてからしばらくしてジワジワと痛みが押し寄せてくる、という感じだった。医師は背中をどんどん、と叩いたり、わき腹や下腹部を押したりしていたが、それには特に痛さなどは感じなかった。

下着を半分下ろされた状態の私はそのうち、何人かの医師、研修医などに囲まれてしまった。ヘルニアか、捻転か、などといっているが、どれもちょっと違うような・・・と言っている。そのうち泌尿器科の医師が来て陰部を触診。タマが上がってるじゃないか、きっとそれで痛いんだ、という話に落ち着く。ちょっと待て、私はタマが上がっただけで救急車を呼んでこんなところまで来てしまったのか? しかしタマの位置を戻したというが、痛みが全然消えない。消えないどころかまたジワジワと痛みが押し寄せてくる。本当にタマが上がってただけなのか?


病名は尿路結石
点滴を装着された後、少し場所を移され、今度はエコー検査をすることになった。足の付け根あたりを調べてみるが、やはり異常はみつからないという。血液検査でも炎症反応は出なかったらしい。やはりタマか! タマが悪かったのか!? いろんな意味で暗い気分になる。エコー検査をしていた医師が「ついでだからこっちも調べてみるか」と、下腹部やわき腹も調べはじめる。そこで「ん?」と医師が反応した。

「ああ、これかぁ」との声。ちょっと横になって、と言われて背中から腰の部分をエコーで検査される。「右の腎臓が腫れてるねえ、尿路結石だな」との声が聞こえてきた。まじですか。話には聞いたことがあるがまさか自分がそうなるとは考えたこともなかった。家族や親戚でも結石になったという話はあまり聞いたことはなかった。まだ痛みに対する処置は何もされてはいないが、それでも病名が特定されると、なんだか少しほっとするものである。

それからしばらく、救急治療室の奥の方に運ばれて待っていた。やがて看護師が「痛み止めです」と言って注射器を持ってきた。「お尻に打つ方が痛くないので」と言われ、言われるがままに半ケツを差し出す。もうどこでもなんでもいいからこの痛みを止めてくれ、という感じだった。ケツに注射を打たれ、薬が回るように注射を打った部分をゴリゴリされる。この注射後がまた痛いのだ。結石の痛みはシクシクギリギリ、という感じだが、筋肉注射はジンジンギンギン、という感じ。でもこれで結石の痛みが和らぐかと思えばそれほど気にもならなかった。

薬がどれほど効いているかはわからなかったが、痛みは多少穏やかになったような気がした。しかし多少軽減されただけで、消えたわけではない。あいかわらず時折波のように痛みが押し寄せ、酷く私を苛んだ。この段階で、ようやく会社の人と面会できるようになっていた。救急車に一緒に乗ってくれたうちの会社のスタッフだった。朦朧とした意識の中で、「ご迷惑をおかけします」とか「ありがとうございます」を繰り返していたような気がする。

次に看護師呼ばれるがままに着いて行くと、今度はCT検査をされた。行きは歩き、帰りは車椅子だったが、車椅子の方が揺れて痛かった。というか、座っていると腰部分が圧迫されて痛いような気がする。歩くのも辛いが、なんとなく歩いている方がまだましのようにも思われた。

またストレッチャーに戻りしばらく待っていると、そのうち医師が来て説明をしてくれた。エコーやCTを見たところ、結石も大きくないし、あとは大量に水を飲んで自然に排出されるのを待つしかない、と言われた。苦痛はたぶんまだ続くが、痛み止めを出すから家に帰って療養するように、と。しかし、私には帰る家がない。ここは私の生活のない遥かなる地なのだ。宿を取るにも昨晩も17件電話をかけてようやくボロボロホテルに入れたほどの状況だった。それにまた痛みが来たときに一人ぼっちというのはあまりにも心もとない。どうしようかと困っていると、「入院もできるけど」と医師が助け舟を出してくれた。まさに渡りに舟。物心ついて以来入院などしたことはないが、この状況で見知らぬ街に放り出されるくらいなら、専門家が常駐する病院にいる方が何十倍も心強い。私は「帰るところもありません。できれば入院したいんですが」とお願いした。個室と相部屋があるとのことだった。お金に余裕はないが、苦痛でウンウンうなっている現状、相部屋で過ごすのはきついし、見知らぬ土地で見知らぬ人たちと仲良くやっていけるとも思えなかったので個室をお願いした。個室は1泊8千円強とのこと。食事付きのビジネスホテルと考えればそれほど高くはない。しかも看護付きなのだ。私は迷わず了承した。


初めての入院
保険証を持ってきていないとか、遠隔地から支払いができるのだろう、とか、不安や危惧はいろいろあったが、時間的に事務はもう閉まってしまっているので、明日直接事務に聞いてくれ、ということだった。まあなんとかなるだろう。将来の支払いよりも、いまの痛みの方が問題だった。

入院の手続きが終わったようで、看護師が病棟まで案内してくれた。少し冷静になってみてみると、この病院、かなり新しく綺麗だった。特に入院する個室病棟は非常に新しかった。まだ出来て数年と経っていないだろう。昨晩泊まったボロホテルとは雲泥の差だった。どんなところに泊められるのだろうと心配していたが、少し不安は和らいだ。

個室の中は思っていた以上に綺麗だった。すっきりとした個室内にテレビや洗面台はもちろん、トイレ、シャワーまでついている。ホテルのようにタオルやハンガーなどの準備はしてなかったが、しかし快適に過ごすには充分な感じだった。ただ、この部屋で身内もおらず一人きり、ということを考えるとやはり少し心細かった。

入院の案内などを聞き、付き添ってくれている人にいくつかの買い物をお願いする。そのうち病院食が運ばれてきたが、食欲などまるでなかった。どんなに風邪を引いても食欲だけは旺盛だったのだが、今回ばかりはさすがに何かを食べる気にはなれなかった。それでも手をつけないというわけにはいかないので、がんばって全体の1/3ほど手をつけた。

付き添いの人には、テレビを見るためのカードと漫画を買ってきてくれるようお願いしていた。ひとりぼっちの入院、きっとずっと退屈だろうと思ってのことだった。しかし最終的に、テレビは最初付き添いの人がいる間にちょっとつけただけ、漫画に関してはまったく手をつけなかった。そんなことをしているだけの精神的余裕がなかった。病院にいる間は寝ているか、起きている間は苦痛に耐えながらごろごろとのた打ち回っているのが精一杯だった。

そのうち、会社に置きっぱなしになっていた私の荷物を、付き添いとは別の社員が持ってきてくれた。その人と付き添いの人が一緒に帰ってしまい、とうとう私はひとりきりになった。テレビを消すと、まったくの沈黙に包まれる部屋。横になりぐったりとしていると、眠気が襲ってくる。そういえば看護師が点滴に眠くなる薬が入っているとかなんとか言っていたような気がする。しかし痛いので素直には寝られない。それでも寝てしまえば痛みも消えるかもしれない、と思い、電気を消して寝る体制に入る。


ひとりぼっちの夜
・・・寝られない。それどころか痛みが増してくる。安静にしていると、痛み以外のことを考えられなくなってくる。否が応でも押し寄せて近くされる痛み。ひとりで唸る。歯を食いしばり、少しでも楽な体制を探す。しかし苦痛に弱い私はとうとう耐え切れず、ナースコールをしてしまった。すぐに看護師がやってきて、「痛み止めを使いますか」と聞いてくる。私は躊躇なくお願いした。

薬は筋肉注射と座薬があるがどちらがいいかと聞かれる。座薬は恥ずかしいので、筋肉注射の方がいいと言うが、座薬の方が効き目が長いし、眠るときにはこっちの方がいいですよ、と言われた。それならば、と座薬を受取る。看護師が気をきかせて「ご自分で入れますか?」と聞いてきてくれたので、私は是と答えた。看護師が去った後、ひとりトイレに入って座薬を注入。なんとかうまく入った。しばらく苦痛は続いたが、それでもやがて多少軽くなり、私はうつらうつらとした眠りに入った。

しかし眠りは続かない。多量の水分を取っていたのでトイレが近い。痛みも消えたわけではない。15〜30分ごとくらいに目覚め、トイレに入り、水を飲んでまた寝る。それの繰り返しだった。少し長く寝てしまうと、尿がたまって痛みが増す。なのでちょっとトイレに行きたいな、と思ったらすぐに起き上がってトイレへ向かう。しかしトイレで用をたすのはそれはそれでまた痛い。しかも出が悪く、キレも悪い。最悪だ。そして用をたした後はさらに痛い。けっきょくその一晩のうちに、激しい痛みにみまわれて、さらに2度、筋肉注射の痛み止めを打ってもらった。

しかしこういうときの看護師は本当に後光がさして見えるほどだ。白衣の天使などという陳腐な表現は使いたくはないが、呼べばすぐに来て丁寧な態度で助けてくれる、痛みを柔らげてくれる魔法の薬を打ってくれる看護師は、本当にありがたい存在だった。それが仕事だとわかっていても、気弱な状態で優しく看護されれば、そりゃ勘違いする男は出てくるわな、と妙になっとく。もっとも私は下半身の方がイカれている状態だったので、そんな妄想をしているどころではなかったのだが。


朝の光
やがて朝を迎えた。長い長い夜だった。夜8時頃から電気を消して寝に入ったのに、実質4時間くらいしか寝ていないような気がした。日が昇りほどなくして朝食が運ばれてくる。とりあえず半分ほど手を付けたがそれでいっぱいいっぱいだった。

朝方にまた座薬を入れていた。それ以降は痛みは消えきらないものの、昨晩に比べたらかなり和らいでいたように思う。そうなると気になってくるのが「どうやって鳥取に帰るか」だ。その出張地から鳥取まで、電車での移動だけでも5時間かかる。その間にまた酷く痛み出したらと思うと気が気ではない。あんな脂汗が出るほどの痛みを、逃げ出せない状況で何時間も耐えられるだろうか。もし鳥取行きの特急に乗り遅れてしまえば、次の便まで4時間も待たねばならない。そうすると移動は9時間コース。さすがにそれは耐え切れそうにない。駅の中には痛みをこらえながらゆっくりと時間を潰せるような場所もないだろう。かといってこのまま出張先にい続けるわけにもいかない。

そもそも帰れる状況にあるのかどうかもわからない。昨晩は医者も「帰ってもいい」とは言っていたものの、病状は薬で抑えているに過ぎず、なんら解決はしていないのである。とはいえ、そのときの痛みの具合なら帰るのも不可能ではなさそうだった。その辺りも含めて医師や看護師に相談した。とりあえず昼前に出たいことを告げると、医師は快く了承してくれた。それだけではなく、鳥取に戻ってからも医者にかかりやすいように、CTの写しや紹介状(?)までも準備してくれた*2


帰り支度
ということで、帰り支度がはじまった。まず事務へ行き、手続きをどうするか相談する。保険証がないことを告げると、本当はダメだが後でファックスで送ってくれればいい、ということにするとの返答をもらった。料金も振込みでOKとのことだった。これでひとまず金銭に関しては安心。次に売店に行って、下着の変えを買う。前の晩から、大量の汗と尿を排出してきたのでちょっとやばい感じだったのだ。

部屋に戻る。まだ点滴が付いているので風呂に入れない。とりあえず散らかしていた荷物を取りまとめる。その日何度目になるかわからないトイレに行く。やはりまだ痛い。尿が片方からしか出ていないような感覚。尿が逆流して腎臓の方に逆流していく感覚。鈍い痛みと強い痛みが押し寄せてくる。ふと気付くと足元に血が点々と落ちていた。それまで血尿は出ていなかったのだが、いよいよきたか!と思ったがどうも様子が違う。気付くと点滴から血が逆流してこぼれ落ちていた。焦ってすぐにナースコール。とりあえず点滴を補修したが、もうすぐ退院するということもあり、けっきょくすぐに点滴は外してしまった。ちなみに点滴は痛いというイメージがあったのだが、この病院では針の部分を太いテープでしっかりと留め、痛みやズレはまったくなかった。

ようやく風呂に入れる。タオルも石鹸もないのでシャワーを浴びるだけだが、それでもかなりリフレッシュした気分になった。個室にしておいて良かった。病院着を脱いでスーツに身を包む。しんどいのでネクタイはしない。格好悪いとは思うが、まあ病人なんだし大目に見てもらおう。

そのうち医師が最後の説明に来た。とにかく大量に水を飲むこと。そうしていれば石はそのうち自然に排出される、とのことだった。小さい石だから出るのはわからないかもしれないが、出れば終り、という話だった。ちなみに石は小さければ小さいほど痛いといわれているという話も聞いた。痛みの具合について聞かれたが、その頃には薬のおかげか、病状が落ち着いているのか、違和感はあるが痛みはほとんどなくなっていた。あるいは石が出てしまったのでは、とも思ったが、排尿時の違和感や痛みはまだあった。医師曰く「たぶんまた痛くなることもあると思うが」とのことだった。怖いことを言う。とりあえず移動中に酷くなることだけは勘弁して欲しい。

どたばたと退院の手続きをして、昼前にはどうにか病院を出ることができそうだった。最後にナースステーションに挨拶をする。担当の看護師は何度も変わっていたのだが、とりあえず最後に担当してくれた人に挨拶をしておく。急な退院で、なんとなく逃げ帰るような気まずさを感じていたが、病院の方も「出張中の病気」ということで状況を分かってくれているようだった。

一晩だけだが、大いにお世話になった病院を出る。外は晴れていた。まだ下腹部に鈍痛はあるが、昨日の大騒ぎが嘘のような穏やかさだった。いや、それは一時の穏やかさに過ぎないのだろうが、少なくとも昨日救急車で運ばれてきたときや、早朝の激しい痛みに比べれば天国だった。病院前に待機していたタクシーに乗り込む。私は痛む下半身を未だ抱えつつも、ようやく帰路につくことができたのだった。


つづく。

*1:びっくりした。救急隊員の人も罰が悪そうだった。痛んでいる部位に落ちてこなかったので本当によかったが、痛いところに落ちていたら・・・。考えただけでぞっとする。

*2:ちゃんと「いりますか?」と確認されたので、それで儲けようとしたわけではないと思う。