コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

辰巳峠の紅葉

相方にせがまれ、先週末に紅葉狩りに出かけた。目的地は辰巳峠から恩原高原、そして湯原温泉、と考えていた。どこも紅葉の名所で、特に辰巳峠は、秋になるとほぼ毎年というほどに紅葉狩りに出かけている場所だった。比較的転機も良く、暑くもなく寒くもない行楽日和だった。相方と子ともに、佐治の細い山道を駆け上っていく。



佐治まではほとんど紅葉が見られない。紅葉してないのではなく、紅葉するような木があまりないのだ。しかし佐治の村中を過ぎ、辰巳峠が近くなってくると突然、山が黄に赤に燃えはじめる。その辺りの山は針葉樹がほとんどなく、山全体が紅葉に覆われているのだ。特にダム近辺は見晴らしも良く、山肌が良く見える。はじめてここに来たときにはその美しさに猛烈に感動したものだ。

しかし何度も何度も通ううちに次第に感動もうすれはじめたことは否めない。確かに綺麗だけど、がーんとした衝撃はない。「あー、また来たねぇ」というのが私の感想だった。


その佐治のダムの脇に小山がある。その小山の頂上に、休憩所のようなものが見える。私ははじめてそこを通ったときからずっとその休憩所が気になっていた。ダム際にぽっこりとある小さな山の頂上からの眺望はきっと素晴らしいに違いない。そう思いながらもいつもは留まることなく通り過ぎていた。しかし今日は、「せっかくここまできたのだから」と相方を誘ってその小山に登ってみることにした。

小山への入り口にあった看板を見ると、頂上まで200メートルと書いてある。たいした距離ではない。これならいける。相方が子を背負い*1、山を登りはじめる。台風の後片付けがしてないらしく、山道には枝が倒れ、崩れ落ちてきた石が転がっていた。私が先導してそれらの邪魔者を崖下に落としていく。崖下はダムの水面。落ちたら死ぬなぁなどと呟きながら上り下りの激しい満ちを進んでいく。20分くらいかけてどうにか山を登りきった。しかし山頂は木々の手入れをしていないので、あまり視界が良くもなく、なんだか骨折り損のくたびれ儲け。自分はともかく相方に申し訳なかった。帰りは私が子を背負い、滑る足元にビビリながら下りていった。麓についたときには息が切れ切れになっていた。まあこれはこれでそれなりの思い出にはなっただろう。


車に戻り先を急ぐ。我々はほどなく辰巳峠にさしかかった。峠といってもそれほどきつくはない。ひとつふたつ大きなカーブがあるだけのものだ。その途中から見た佐治谷の景色はなかなか良かった。

紅葉の写真は難しい。目で見るほどの鮮やかさが出ない。いや、これが実際の映像であることは間違いないのだ。むしろ目で見たときの方が脳内フィルタリングされて綺麗に見えているに過ぎない。


峠を過ぎるとそこはもう岡山県。恩原高原だ。恩原に入ると一気に景観が変わる。植わっている木の種類からして違うのだ。佐治は山に色とりどりの木々が見られるが、恩原に入ると白樺や茶枯れた葉の木などが平面的に広がっている。恩原には池やらスキー場やらがあって景色も良い。池沿いの道を走っていると、脇へとそれる細い道を見つけた。私が「そっち」と声を上げその道へと入っていく。先に何があるかわからないが、変なものを探り当てる勘のようなものが働いた。勘は見事に当たり、その奥にはなかなかの光景が広がっていた。

少々暗い写真になってしまったが、その細い道を進むと紅葉のアーチになっていた。どこかの絵画で見たことあるような光景ではないか。というのは少し言いすぎか。道の先は行き止まりになっていて、リフトもない小さなスキー場のようだった。我々は来た道を引き返し、先へ進むことにした。


恩原の池の北川の道を進んでいくと、三叉路の正面が工事中で行き止まりになっていた。しかたなく右折し、大きなスキー場の方へと進む。この道で湯原に行けるのかどうかわからなかったが、方向的には間違ってはいないはずだ、ということでそのまま直進。しかし行けども行けども見たことあるようなないような微妙な景色。湯原まで何キロ、などという看板も見当たらない。その代わりに「○○の里」(なんの里だったのか忘れてしまった)という看板がちらほら見えていたので、そこを目指して進むことにした。

ほどなく、目的の「○○の里」についた。そこには昔風の藁葺き屋根の建物が立ち並んでいた。一番手前の藁葺きの建物が御茶屋さんになっているようだったので、休憩がてら立ち寄ることにした。

藁葺きの建物は単なるレプリカではなく、その集落に実際にあった建物を移築したもの、ということだった。高い天井、古く煤けた柱、中からも見える藁葺き。さらには板張りの床に本格的な囲炉裏などもあってなかなか良い感じだった。その店では地元でとれたものを使った料理なども食べられるということだった。あいにく我々は昼食をとった後だったので、軽くだんご汁とコーヒーを頼んだ。後で「ここまで来てコーヒーはないだろう」と自己嫌悪。地元のおばちゃんたちが運営しているらしく、なにやらアットホームな感じな店だった。


その店で子にもご飯を食べさせたので、少々長居してしまった。店を出るともう3時半。山の日暮れは早い。もう日が傾きかけている。日が落ちた後では紅葉は楽しめない。やはり紅葉には日の光が必須だ。いまから湯原に行っても日暮れには間に合わない可能性が高い、ということで、三朝を抜けて帰路につくことにした。

茶店のおばちゃんに聞いた道を走り、人形峠へと向かう。人形峠といえばウラン鉱山があったことで有名な場所だ。いまでもウラン残土の問題などでもめているらしい。その道を走る途中、今度は相方が妙な看板と横道を見つけた。その道の先に人形峠展示館なるウラン、放射能関係の展示館があるらしい。私は「えー」と言いつつも、相方が行きたそうだったのでその寄り道に同意した。

細い道が山をゆっくりと登っていく。と、目の前に紅葉した山のパノラマが広がった。ナイス相方。いい勘をしている。しかし写真を撮り忘れてた・・・。私はこういうところが抜けている。その日一番とも言える紅葉を取り忘れてしまったのだ。阿呆である。

途中、道路上をふらふらと反対車線に突っ込んだり、急に止まったりしながら走っている危険なじいさんの車の後ろについてしまうなどのハプニングもあったが、どうにか目的の人形峠展示館に到着。しかし入館は4時まで・・・。間に合わなかった。ちなみにその展示館の隣には「核燃料サイクル開発機構」とやらの看板があった。

その展示館の前の駐車場にて。

ちょっと見づらいが、人形峠の由来を書いた看板の上に、ボロボロに劣化したハチのキャラクターが乗っかっていた。爽やかな笑顔が痛い。ちなみにこの看板の横はレストラン件宿屋らしきものがあるのだが、もう潰れてしまっているようだった。一階部分のレストランは人の気配がない。しかし二階の宿らしき部屋のカーテンがやけに綺麗なのが気になった。廃墟であればたいていはカーテンなどはボロボロになり、ガラスも割れていたりするのが普通だ。あるいはまだ営業しているのかもしれない。それにしても人の気配がないし、なんだか不気味だった。相方曰く「夢に出てきそう」と。少なくとも夜には近寄りたくない建物だった。


というわけで湯原には行けなかったが、それなりに紅葉を堪能した我々は今度こそ帰路についた。最期に、途中の道端で見つけた、見ていると切ない気持ちになってくる人形を。*2

関連サイト

*1:私が背負うと言ったのだが、相方が固持したので・・・。

*2:こんなもの撮ってないで紅葉を撮れよ!