コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

ほんのり自傷行為

私には自傷行為の気がある。何かに追い詰められたり、逃げ出せない状況になったり、怒りが溜まりにたまって噴出させる術がないときなどに、自傷行為に走ってしまう。とはいえ元々痛みや辛さをことさら嫌う性分のため、実際に傷がつくほどの本格的な自傷行為には至らない。あえて言えば似非自傷行為、である。

自傷行為の兆しはまず爪を噛むことからはじまる。そもそもいらだったり緊張したりすると爪を噛む癖がある。そうではなくても爪を噛んでいることは多い。ゆえに私の爪はきちんときらなくてもいつも短い。まずはそれが顕著に現れる。爪だけではなく、さかむけやペンダコも歯でかきむしりはじめる。格好の良くない癖だという認識はあり、意識してやめようと努めることもあるのだが、またいつのまにか繰り返している。癖ゆえにどうすることもできない。一度人に「爪、おいしい?」と皮肉っぽく言われたことがある。何も返答できなかったことを覚えている。

さらにエスカレートすると、顔や腕を自らつねったり、ひっかいたり、爪を立てたりし始める。手首を力いっぱい掴んでみたり、あるいは膝を握りこぶしでたたいてみる。それでも足りなければ、シャーペンやボールペンを腕や手の甲に刺す。刺すといっても突き刺さるほどではない。そんな度胸はない。しばらくへこみが残る程度に優しく自傷する。

さらに我慢ならないときは、息を止めてみたり、自分の首を軽く締めてみたりする。かきむしりが激しくなり、軽く蚯蚓腫れができるくらい強くなる。握りこぶしで自分の後頭部や頭頂部、前頭部を強めに叩いてみる。舌を噛む。頭の血管が切れそうなほど強く歯を食いしばる。頭の後ろに壁や背も垂れがあれば、そこにガンガンと頭を打ち付ける。

エスカレートしてもせいぜいここまでだ。傷が残るようなことはしない。ただ、極限状態になると本当に見境がなくなっている。もし手元にナイフでもあれば、腕に軽い傷くらい作ってしまいそうな勢いではある。


似非自傷行為がよくあらわれるのが仕事での会議の場だ。特に出張先での会議や、夜遅くまで長引く場合は酷い。頭が朦朧とするようなストレスの中で、意味不明な自傷的行為をはじめてしまう。正直なところ、みんなよくあんな退屈な会議を続けていられると思う。いや、退屈だと思っていない節まであるのだから驚くべきことだ。私は駄目だ。耐えられない。興味も湧かないし、途中から会議への参加も放棄している。話の内容も頭の中には入ってこないし、とにかく「終わる」ことばかりを期待し、考えている。

そんな状況で自傷行為がはじまる。しかしなぜ自傷行為などをしてしまうのか、少し冷静に考えてみた。

おそらく「逃げたい」けれど「逃げられない」苦痛に対する代替行為なのだろう。いや、そんな奇麗事ではない。もっとしっくりくる説明がある。自分では逃げられないから、誰かから逃亡の補助を誘導しようするための行為なのだ。「僕はこんなに辛い思いをしているんだから、誰か気付いて助けてよ」「もう帰っていいよ、って言ってよ」。そういう思いが自傷行為の中に込められていることは否めない。要は逃避のための言い訳を作りたがっているだけなのだ。誰かに気付いてもらって許しを得たいと思っているのだ。しかしその行為が中途半端ゆえに、逃避の許可にまで至らない。結果、よけいにストレスがたまり精神的に追い詰められている。

実際、それだけ奇妙な行為をしていて周りが気付かないわけはないだろう。それでも、実際に声をかけられたことは1度か2度しかない。それも「何してんの?」という冷たい声をかけられただけ。けっきょく自分ひとりで抱え込んだわがままな苦しみは誰にも理解されず、「変な行為」としてしか認識されていないということだろう。

確かに、実際にもっと苦しい目にあっている人はいる。こんなことで自傷行為などと言っていては、本当に自傷行為に苦しんでいる人に申し訳ないような気もする。自傷行為が問題なのではなく、自分が我慢弱いことが問題であるということは重々承知している。そもそも仕事での会議にいい加減に望むということ自体不真面目極まりない。それでも、自分では自分なりに苦しんでいるつもりなのである。

しかし自傷行為をすると、傷が残らないとはいえ調子が悪くなる。舌を噛めば口内炎になるし、後頭部を強く叩くと後で頭痛に襲われる。そんな馬鹿げた行為を繰り返すことに何の意味もないことはわかっている。しかしそこはそれ、やはり「苦痛の代替行為」なので、何もやらないよりは気が紛れる。

もっと良いストレスの逃がし方を覚えられればいいのだが。それよりも、打ち込める仕事を見つける方が先決だろうか。