コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

クリムト

Gustav Klimt/グスタフ・クリムト(1862-1918)


学生の頃から「自分の気に入った絵」を探していた。単純に絵画に興味もあったが、「この画家が好き」みたいなことを言ってみたいという不純な動機があったことも否めないだろう。ともかくそんなわけで、機会があれば美術展やら展示会に足を運んでいた。

しかし田舎暮らしのため、美術展は多くはないし、あってもそれほど高名な画家のものはなかなか来ない。来ると言えば天野喜孝クリスチャン・ラッセンシルクスクリーンを押し売りするアールビバンものなど。そういうのも見に行って、あやうく天野絵を買わされかけたこともある。

けっきょく、自分が「気に入った」と言える絵に出合えたのは、学生最後の年だった。しかも自分で見つけたのではなく、相方が好きだという絵を私も気に入った、というのが本当のところ。

それが、クリムトの絵だった。


最初は、金ぴかで派手派手でちょっとどうなんだいそれは、と思って見ていた。しかし人物の構図やら、当時の絵画にしては奇抜なポーズやら、どことなく和風を思わせる装飾やらを見ているうちにいいじゃん、と思い始めてきた。そして、とある本で「医学」を見た瞬間、完全にはまった。これは単に派手とかそういうものじゃない、と。

美術の知識などほとんどないので、感覚的にしか話せないのが悔しいが、クリムトの絵は、西洋的な写実主義と東洋的な紋様風の技法を組み合わせて描かれている。単に物や人を描くのではなく、それをも部品として、絵全体で図柄となっているような感じ。そういう、ある種イラストチックなところが、受け入れやすかった理由のひとつかもしれない。

時に清廉に、時にエロティックに、そして時にグロテスクに、クリムトは描いた。ただ単に綺麗な絵を書くのではなく、また伝統に則って決まりきったものを描くのではなく、絵にテーマを込めて。言うまでもなく、まだ宗教絵画から脱却しきれていなかった当時の画壇からの風当たりはかなり強かったらしい。新しいもの、伝統から外れたものを作ろうとすれば叩かれる。特にクリムトは裸体なども描いたために、退廃的との烙印を押された。それでも、クリムトの芸術性は認められ、大学の壁画を描く仕事なども依頼されている。実際にはそこでまたクリムトの絵の是非をめぐって議論が紛糾したわけだが。

古い画壇との確執の結果、クリムトは自ら分離派なるものを作った。それまでの画壇に背いてまでも新しい絵を求め、そして次なる世代への足がかりを作ったのだ。絵画が宗教画から脱却する際に、クリムトがその一役を担っていた、と言っても過言ではないだろう。


一度、地元鳥取で「19世紀の世紀末画家展」みたいなものがあり、見に行った。そこでクリムトの絵も何点か展示されていた。一番印象的だったのは「パラス・アテネ」。クリムトといえば「接吻」や「抱擁」のような恋人モノが有名だと思う。もちろんそれらの絵も良いのだが、この「パラス・アテネ」は一味違う重さと迫力を持っていた。パラス・アテネは分離派の象徴とされた女神で、この絵は古い画壇に対する強い意思を示したものだそうだ。全体的に暗いトーンで厳しい目つきの女神が描かれている。実物を見て、やっぱクリムトは凄いわぁ、と実感した。

クリムトは壁画なども手がけていて、それらはオーストリアのウィーンに行かなければ見られない。死ぬまでに一度は、現地に行ってたっぷりとクリムト作品を見てみたいものである。

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