コトバノウタカタ

よしなしごとをつらつらとつづるばしょ。

因縁(いんねん)*

因縁をつけるとか、因縁の対決、などと日常的に使う語だが、元々は仏教用語。本来の意味は

〔「いんえん」の連声。基本的な原因すなわち「因」と、それを助成する機縁すなわち「縁」〕事物を生ぜしめる内的原因である因と外的原因である縁。事物・現象を生滅させる諸原因。また、そのように事物・現象が生滅すること。

となるようだ。現代で言えば、DNA(因)と生後の教育(縁)で人の性格が決定される、というようなことに符合しそうだ。

関連する後に「縁起(えんぎ)*」というのがある。日常的には「縁起がいい/悪い」という使い方をするが、少したどれば、寺社の起因、由来という意味になる。さらに意味を遡ると「因縁によってあらゆるものが生ずること」という意味になるらしい。「(因)縁により起きる」というわけだ。そう考えると、「縁起がいい/悪い」は、「外的要因、内的要因がいい/悪い」という意味になり、巡りめぐって本来の意味に近いところに来ているような気もする。

このように、仏教用語は知らぬ間にいろいろな場面の日常語になっている。ときには本来の意味を大きく逸れ、場合によっては逆の意味になっていたりと、なかなか興味深い。こんなのも仏教用語だったのか、なんてのも何点かある。それはまたおいおい。